過去の公演記録 2008年12月公演「仰げば(か)尊し」

あらすじ

余立(あまたて)中学校の校長である大石覚は、新採の女性教諭坂本瑞紀に執拗にメールを送り、それがストーカー行為とみなされた。

かつての教え子ということもあり、懲戒免職という予想外の重い処分が下る。

「これでいいのだ」と地位も財産も失った大石は、生きるため、また、自分の教育の総括として、東京で段ボール生活をはじめた。

大石が最後の校長時代のPTA会長だった本間澄子は、会長を終えた数年後に夫婦で営んでいた土建屋が倒産。東京で派遣社員として働く。

物語のはじまりは、ある夕刻、本間が帰宅途中に大石元校長段ボールにつまずく。

思わぬ再開に二人は居酒屋でPTA時の話で盛り上がる(舞台は余立中学校へ)。

学校運営評議委員会では、県教育委員会事務局に、卒業式前に県立高校の入試発表を、という要望書を提出することがきまった。

また、放課後の部活動のありようも協議される。

同時に舞台一方では、担任と保護者の最終の進路決定の面談の模様が繰り広げられる。

卒業祝賀会では、人生のさまざまな師に、ということで「仰げば尊し」の合唱とコンテンポラリーダンスを披露。

思い出話に酔う二人は大石の段ボールの家に同宿する。

と、その時、東京に未曾有の大地震がおきる・・・・・・。

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15の春は泣きながら乗り越えろ-こどもは地域の宝として-

 先日、元小学校教諭の今村克彦さんの講演会に誘われてでかけた。誘ってくださった方は、講師の先生はダンスを教育に生かしている人で、あべさんも興味がありそうなので、ということだった。ダンスをおおまかに分類すれば、今村組はよさこい系、こちらは、妖しい系(?)。ダンスの話はさておき、話の内容は、現役時代の教育現場や自身の教育論でありました。

 教職現場の大変さでは、精神疾患で3ヶ月間休職したことや教師間のいじめなどのほかに「200万月給もらっても、教員の現場には戻りたくない」という言葉が印象に残った。一方教師の醍醐味としては「子供たちの人生にかかわる直接関われるすばらしい仕事」と力を込めて話された。私もPTAの役員として、遠巻きながらではあるが10数年教職員の方とお付き合いしてきたので、共感できるところが多かった。また、不良少年を更正させた話は、胸にくるものがあり、ああいい先生だあ、聞き入ってました。

 さて、台本のほうですが、今回は十八番ともいえるPTAネタであるので、すらすら書けるだろうとタカをくくっていたのがつまずきのもとだった。いままでは、プロット(あらすじ・構成)を決めないで、出だしが決まれば、しゃべりたいことを軸に書いていき、だいだいの方向が決まったら落とし処を決める、といった書き方だった。

 今回は、かれこれ20年近くもPTAの役員をやっていたのが、いよいよもって最終年度で、まあ、いままでいろんなことがありましたが、お世話になった先生方に感謝の気持ちを込め、仰げば尊しの合唱のなかで踊りができれば、という思いが強かったので、台詞が止まってしまった。舞踊は祈りに似て、ありがとうというのを踊りに込めれば言葉が不要になるからです。

 それにPTAネタ、つまり教育問題となったときに、保護者個々の思い、教師各自の思い、校長(教頭)の思い、あまた評論家の教育論、国としての教育指針、などが雪崩を打ったように襲ってきて、パソコンの前で思考停止状態。それにいまのパソコンはインターネット常時接続で、ついネットオークションとか、欲望系に逃避してしまい、無用な時間のみが過ぎていくばかりで、すっかり台本が遅れ、役者のみなさんには大迷惑をおかけしたしだいです。農作業も自給野菜のほうは、手抜きになってしまって、トホホ状態。そしていざ台本ができると、今度は台本が書き終えたら、仰げば尊しの群舞の振付に四苦八苦(笑い)。台本を書いている途中は、あれほど踊りに集中したいと思っていたのに。これも逃避だったんでしょうね。

 人間たらしめる教育を必要する、人間そのものの不条理に困惑するのですが、PTAネタで中学校を舞台としたときに、いま振り返り、もっとも違和感を感じたのが、卒業式後の県立高校の合格発表でした。十数年前、「15の春を泣かせるな」ということで、現在に至ったわけだが、確かにその当時としては画期的だったかもしれません。しかし、時を経て、再度議論する時がきているように思うのです。私自身、その当時は落ちた人や保護者のことを考えると、あまり大きな声ではいえませんでした。三女でPTA生活ともお別れのいま、三回の中学校の卒業式を(祝賀会)を振り返ったとき、現実の受験というハードルがあるのに着地地点に人影がなく、みんなばらばらに高校という霞の世界入っていく。人間関係が希薄になったいま、教育などという言葉がおこがましく感ずるくらい、せっかくの教育の機会を逸しているような気がしてなりません。そして、高校PTAを経験して思うものは、以前は私も、高校生はもう大人で親がしゃしゃりでることなく、自立のためにも、学校と先生にまかせておけばよい、という思い込みがありましたが(まあ、間違いでないとは今でも思ってはいますが)、長女が都内の私立大学に入学してその考えは限定付きであるということに気付きました。お金がふんだんにある家庭は、と。単純に、年間授業料100万円にアパート、携帯、光熱費、食費で、月10万円×12で120万円。合計で220万円(入学金とか含まれておりませんし)。年収300万円以下の家庭は生活できるわけがありません。金がないから大学には行くな、あるいは、すべて奨学金でまかなえ、と簡単に言ってしまえれば、それはそれでいいんでしょうけど、自分達の老後のことも間近にイメージでき、そこに高校までと桁違いの教育費がのしかかると夫婦関係も険悪となったり(笑い)、現実的なお金の有効利用も含め、いまの高校PTAはより保護者の情報交換が求められる、そう感じています。だから、なおさら、きれいきれいに終える中学の卒業式がもどかしく感ずる昨今なのです。

 教育費にあっぷあっぷで、地元にはお金が落ちなくなるし、奨学金といっても借金には変わりなく、返済のために、給料の安い地元には帰れない、という現実も。 という話を、元余目中学校に勤務したことのある先生と「俺も同感だ」と居酒屋談義で盛り上がったしだいです。

15の春は泣いてでも乗り越えろ。
大人にできること。-こどもは地域の宝なのだからという眼差し-

このお芝居はフィクションです。

作者の近年のPTAプロフィール
現在、県立酒田西高等学校、進路対策部委員長兼クラス代表。いよいよもって最後の祝賀会余興担当主任。18年度、鶴岡中央高等学校PTA会長、と庄内町の地の利を生かして田川、飽海両地区に出没。余目中学校広報部長3期(その他)。自称趣味のPTA役員。

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作者より

三女が現在高校3年生で、いよいよもってPTA生活ともお別れになりました。振り返れば、幼稚園の保護者会長からはじまり、小・中・高とさまざまなPTA役員をやってきたように思います。近年は開き直って、趣味はPTA役員です、と自己紹介(特に教育熱心なわけではありません。頼まれれば、の世界ですよ)。

よって第3作目の芝居はPTAネタ。ちょっとセンチメンタルに、ちょっとシュールに、いままでお世話になった先生方にお礼の意味も兼ね、「仰げば尊し」をバックに踊りを創ろう、と今回は先にプロット(あらすじ・構成)をつくりました。

高卒後はほとんどが、就職、就農の時代の残像で、高校は親は関係なし、のイメージの高校PTAでしたが、貧困とか教育格差とかという活字が多く流れる昨今、金がかかるぶん親も関わらざるをえず、というのが現状でしょうか。

ユニークな進路相談もあり、楽しみながら参考になるお芝居かも(?)

劇団響代表 阿部利勝

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