過去の公演記録 2015年10月公演「寿歌(ほぎうた)」

北村想原作「寿歌」は三十年ほど前になるでしょうか、お隣の酒田市で観劇致しました。
核戦争後、生き延びた二人のの旅芸人に謎の男が加わり三人で旅をする物語でした。終演後に「イロンナ想いを」抱きつつ会場を後にしました。
ひとことでいえば「おもしぇけ」ですが、終演後にイロンナ思いが錯綜するような芝居が自分の好みなのかなと思った次第です。

人類は(地球は)どんな形で滅びるんだろうか的な終末論は、映画や小説で良く取り上げられるテーマです。
戦後七十年、もはや核戦争は国家が行うのではなく、人工知能が人間を従えてとか、あるいは自然災害的なもので核発射機能が制御できなくなりとか、戦争というより自滅に近い形ででの消滅なのか、いやいや人類滅亡とかそんな大げさなことより、高齢化で個人のおひとりさまの老後の個人的な終末論に思いが馳せるのか、だれが生き延びるのか、自分だ~と思うあなたの人生イロイロ~。

演劇はコミュニケーションのツール(道具)として有効な働きをなすといわれ、そのためには、かつての演劇青年のように熱く演劇路運を戦わせ、芝居を一本打つたび友達を減らすようなことはやめにして、ユルくいきましょう(今回は三人の登場人物だから上演は楽勝と思いきや、宛てにしてたメンバーも仕事の試験で厳しいとか、仕事が忙しくなったとか、それはそれで、とてもよいことで、仕事優先、また、家族の様態が思わしくないとか、それはそれは、家族優先でゆきましょう、あなたのやさしさが芝居にいきるのです~。できる範囲でドタバタ、稽古、上演、いたしましょうね)。
とは申しましても、ある種の強度も必要で、映画、テレビ、インターネットに押される昨今、アマチュア演劇にいかようなニーズがあるかをリサーチするためには一日や二日の公演では、土日あれがこれで無理な方も多く、ほぼ一週間でやってみましょうよ、それには無料でなければなりません。「タダなら観てやるぜ、観てもどうせ時間の無駄で、タダほど高いものはないのぅ。アッハハ」とそれでも足を運んでくれる人がいるかのう。

丹野清志さんは、国の減反政策と稲作農家との関係がギクシャクしてたなか(昭和五三年)、新聞社系のグラフ誌の取材に同行してきたプロカメラマンでした。その頃役場の職員で案内を担当したのが当時栄青年団の団長であった吉泉豊一さんで、取材が終え、まあ夜の余目の農業青年は、ということで紹介され、お知り合いとなりました。それからはプライベートで余目に泊まり込み、青年団の仲間の田んぼを見に行ったり、飲みに行ったり、時には六十里越え街道を青年団事業に提案し皆で歩いたり、猛吹雪のなかディスコ行って車が吹き溜まりに突っ込んだりしつつしながら、スナップショットを重ねていきました。そして、その時の写真を『ササニシキヤング』という写真集にまとめました。

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