過去の公演記録 2003年2月公演「風だけがとおりすぎて」

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平成15年2月公演「風だけがとおりすぎて」チラシ

作 阿部利勝

演出 池田はじめ(エッグプロジェクト)

 舞台は、余目町。夏の日の田んぼと、近くの神社にて。

 時は、200X年。農水省は長年続いた減反政策を廃止と発表。さらなる市場原理導入で、米の大暴落も予想されると北島部落の農民は大揺れ。

 部落の生産組合長である佐藤は米の有機栽培、産直を試みるが、急激な農業の価値観の変化になじめないまま低迷。農機具、子供の教育費等で借金が膨らみ、保険金目当ての自殺をほのめかす。

 役場産業課初の女性課長に登用された独身の進藤恵子は、駅前商店街活性化事業で、駅前米倉庫を改築した「阿部亀冶記念館」のオープニング事業に、北島部落婦人会中心の亀組稲作ダンサーズの起用を提案。一方、農業振興の会議で佐藤と出会い、道ならぬ恋に落ちる。二人の恋の行方は--。

 親の反対を押し切り就農した阿部晃作は、離農者の田んぼを集め売り上げを伸ばす。また、風をつかまえるためには田んぼの真ん中に木を植えると宣言。

 嫁姑の関係のなかで悩む文枝は、"身体は生きる希望"とダンスに夢中。夏祭りでは、余目町民歌ロックバージョンでジャズダンス。ピアノ、余目飛龍太鼓の演奏のなか、舞踏、稲と木のダンスを披露。

 定時制高校に通いながら「都市を滅ぼすのよ」と、自然農法に希望を託す「風の少女」詩織。また、詩織に進路の悩みを打ち明ける中学生の透。

 稲の花見(転作確認)、夏祭り、消費者交流会、植樹と、それぞれが「生きる希望」を求め懸命に生きる。通りすぎる風のなか--。

コメ農業、そして地域社会の変貌 -絶望から希望へ-

平成15年2月公演「風だけがとおりすぎて」写真

 平成7年11月まで旧食糧管理法があって(農家は届出をしなくてはコメを勝手に販売してはいけない)、どこにでもあるコメがついこの間まで、ただの商品ではなかったのである。また、以前に米は輸入禁止であったり、政府米といってコメを国が買い上げていた時代もそんなに遠い昔の話ではない。

十年ほど前まで「日本の農業を守れ」と政府に対して声を上げていた。今はそんな対抗軸はない。それゆえか、ここ数年で米価が3割も下落しても、農家の声はそれほど聞こえてこない。

 今は誰もがコメ作りをやれない、そう思う。減反自由化でコメ価格の乱高下が予測される。ここでかなりのコメ農家は振り落とされる。そんな学習をしてこなかったからあたりまえだ。余目町のようにコメにこだわった恵まれた地域ほどいまの政策に翻弄される。私のようにのほほんと古い価値観のまま家を継いだ世代は特に危ない(?)。近い将来、余目町の農民は今の半分以下に減るだろう。部落の共同体意識も変わるだろうし、町の商店街においても、今までの農業経済を基に、といった面も変わってくる。

 余目町において、若い後継者がいなくても進化した機械力に支えられて田んぼは維持できた。コメ農家においては私自身45歳になっても部落では「若者(わっげもの)」のままである。「農」に対して、屈折した思いのままオヤジになった。

 さあ、いよいよ若人の出番である。

 良いとか悪いとかの問題はさておき、今回、私自身の農業における不安を言葉にしようと思った。だから、落ちていく側の農民に肩入れをして書いてある。(私の45年分の「農」のうみみたいなのが吹き出してくる)。それは、絶望は絶望として言葉にしたほうが明日の希望につながると思うからである。

 私にとって、生身の人間が演ずる演劇は絶望を口にしても、きっとどこか希望に向かってかってに歩き出してゆく、そんな観念を持っている。

 最後に、響ホールからは、多大なご支援はもちろんのこと、台本の内容、それに「もうコメは全部輸入しろ」というコピーに、一部意義ありの声がありましたが、作者の稚拙な台本を「表現」としてご理解いただき感謝しているしだいです。この場を借りてお礼申し上げます。

脚本 阿部利勝

「生きる希望」をめぐる寓話

現実を見なければ、暮らしていけない。しかし、夢がなければ生きていけない。多分、夢を支えるには、「生きる希望」が必要なのだ。

その意味で、この芝居は「ここ」に住む人々の「生きる希望」をめぐる寓話である。

「ササニシキヤング」という余目の青年たちを撮った写真集がある。写真集には、25年前の青年団の姿が写っている。この芝居に関わっている阿部利勝さんや佐藤篤さんたちもいる。みんな若い。ディスコの帰りだろうか、派手なピカピカのスーツに真珠のような首飾りを持った利勝さんは、吹雪の中で当惑した表情で震えている。バイクや車に乗った写真も多い。バイクや車は遠くへ行く手段だが、それは「遠く」への憧れにも見える。何から遠くへだろう。いいようのない「しがらみ」から、それとも「世間」から?ある意味、農業を継いでいくことは、「遠く」への憧れを諦め、世間の波を泳ぎながら、「ここ」に住み、自分で夢を作っていくことだったのかもしれない。その時代、農業をしていくということは、職業としてだけでなく、生き方を選んでいく側面も大きかったように思える。

演劇も含め、舞台芸術の底に流れているのは、暮らしてきた生活の歴史や感情であって、舞台にはそれがにじみ出る。多分、土地でしかないものは作物だけではなくて、そこに住む人なんだろうと思う。識字率の低いあるアジアの国に住む演劇人たちは、40年かけて自分たちの問題を共有し考える演劇の手法を育ててきた。演劇は一部の好きな人だけのものではなく、そこに住む人が気持ちを伝えあう手段として、「生きる希望」の助けになる可能性がある。

余目のお芝居は、今、始まったばかり。育つには、大地と水と太陽の恵み、そして時間が必要です。これからも厳しく、ゆっくり、温かく見守っていただけるよう希望します。

演出 池田はじめ

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