阿部利勝・洋子
籾、苗、稲、米、そしてご飯(米騒動特別編)
1995.7月14日号に添付

君は稲を見たか!? (亀の尾プレス掲載)

『平成米騒動』それは、不可思議な風であった。なぜか憂鬱だった三月、その風は私にとって雷雲をともなった風のように感じられ、ますます暗い気持ちになった。BR> 三月に入りタイ産米が急速に食卓にのぼる。日頃、長粒種を口にしていない人々にとっては味にしろ匂いにしろ、なじめないのは当然であろう。パサつく、まずい、匂うなど、なかにはセット販売にたいして(抗議の意味かどうかはわからないが)タイ米は捨てた、とまで答える人など、あまりにも率直な意見をマスコミは伝えた。
今度は反動でタイ米擁護論が続く。日本がいっきに世界最大のコメ輸入国に転じ、国際価格が軒並み高騰したのはご存じのとうり(側面に他の輸入国の飢餓助長を忘れてはならない)。それを、まずいだの臭いだの、はてまた〃捨てる〃なんぞと聞いた日には、タイの人々でなくても、そりゃ怒る。
しかしである。コメ余り、減反だ、よりおいしいおコメを、といった風潮のなか、国産米はまったく国内の空気か水のごとくみじかにあった。とくにご飯好きといわなくとも何気なく食べていたはずである。そこにタイ米。感想を一言、といわれれば、「いやぁ、ちょっとね。えっ、ズバッとですか。できればあまり口にしたくないですね。」とくらいは答えてもなんら不思議はない。たんに食文化の違いによる『まずい』という感想までもが、ごっちゃになって批判されることは避けなければならない。
 多少口に合わないからといって貴重な食糧を−−、という良識ある意見のなかで、自国の稲作がなおざりにされていくのではないかと感ずるの私のひがみであろうか。では、私達の作ってきた日本のコメを〃捨てた〃ことはなかったのか、と問いたい(あー愚問だね)。
 タイ米に恨みがあるわけではない。タイ米に目をやると、一度だけ行ったときのあるタイの田んぼと民泊先での農民との交流会のことが思い出され、じっと見入ってしまう。同じ農民としていとおしくさえ感ずる。ましてや、タイ米を捨てる人々に賛同してるわけではない。私だってつらい。それでも、この地 で食べる長粒種は、まずい、といいたいのである。
 というのも、国をあげての(?)おいしい外国産米の炊き方特集を見ると、この国の国民性ゆえ、まもなく外国産米がトレンドになりかねない。現に、ポストハーベスト(収穫した作物への農薬散布)でうんぬんされたカリフォルニア米が、おいしいというだけで売り切れてしまう現実を目の当たりにして、国
産米圧倒的人気すら、疑いたくなるのである。自国の農業を守るという姿勢はなく、ただたんに口に合うコメがほしいだけなのではないかと。
 部分自由化のなか二、三年豊作が続き国産米がだぶついたら必ず米価は下落する。きっとまた捨てられるだろう。
 鬱状態のときは暗いほう暗いほうへと考えがいくもので、今回はコメ以外の食料品はあふれかえっていたわけだが、それが、他の穀物までが輸出国の何らかの理由で途絶えるとなったら と考えると、ぞっとする思いである。ありふれていた物があっという間に店頭から消えてしまう、というのも私にとってはちょっとショックであった。そうならないためには、強い経済力、軍事力そして米倉を守るために銃を−−?(といいだしそう な人がいて、あー怖い怖い)。
 (と、ここまでの原稿を四月に提出したのだが手違いがあって発行が遅れてしまった)
 でもって九月。新聞の一面には、早、豊作米過剰・ヤミ米暴落、の記事が踊る。な、なんなんだこれは。(次号に続く)

 しかるに、現在のコメ流通で決定的に欠如しているものは『ネットワーキング』(じつはこの言葉の意味をあまり理解していないにの好きで使ってしまう。夢会議と交流のある奈良のたんぽぽの家の影響でこの言葉が当会で流行った)である。

 本年の亀の尾の育ち&育て方
 昨年は一〇〇年前の稲作りに近づけようと、大豆滓を一反当たり三十キロをばらまいただけの粗放的な農法であった。評価としては、大冷害ということもあり、見えにくくなってしまったが、昨年同様の農法では収量増はあまり見込めまい(つまり夢会議の台所事情も苦しい)という話しになった。
 で、栽培主任である私のところに出された注文は「より収量増につながる有機農法」であった。
 堆肥は窒素成分の少ないマッシュルーム堆肥を投入。肥料は昨年と違い『生』でなく、より土や作物にやさしい発酵させた有機百%のぼかし肥料を一反当たり九十キロを散布してのスタートだった。
 本年は春から好天で、亀ちゃんもガンガン育った。七月上旬に梅雨があけ、今年はちと暑い夏がくればなあ〜、思っていたら来た来たどがんと来たのだった。  亀ちゃんの一群(三分の一くらい)はついに肥満体となり、一人でたっていることもままならずついにお寝んねを始めるしまつ。かように稲の生育もよければ雑草の生育もまたしかり。
 除草剤の使用を止めて二年目である。一年目は前年使用の除草剤残留効果か割合生えにくい(といって何もしなければあっと言う間に草に覆いつくされてしまうが)。二年目となると土の生命力がかなりよみがえり、まるで魔術から解き放たれたごとく、草がわっと生えてくるのである。それでも除草のポイントを逃さなければどうにかなるのだが、今回除草機を押すタイミングが一週間ずれたのが、雑草に多大なパワーを与える原因になった。本年も二回、汗水垂らして除草機を押したのにもかかわらず、結構雑草が残ってしまった。  九月3日に稲の穂よりも上に出ているヒエ(田んぼの代表的な雑草)をメンバーで取った。田んぼの土の上にさまざまな草が生え、美しくもあった。除草剤を使うと稲のほかは黒々とした土のみといった情景とは違うのである。  亀ちゃんの出穂は八月一日と、昨年と比較して二〇日あまりも早かった。とくに病害虫の被害もなく、美味しそうな黄金色。百年前の味を今年はたっぷり堪能できそうだ。

としかつ父ちゃんのしょうもない通信
1994.9.26号 1995.7.14号 1995.9.17号 1996.1.20号 1996.9.14号 1997.7.20号 1997.9.26号 1998.6.17号
グループ稲便り
1996.8.25号 1997.11.19号

としかつ父ちゃんのホームページへ戻る  創造ネットワーク研究所のホームページへ戻る