1996年9月14日号
阿部利勝・洋子
 拝啓 朝夕、秋の顔をした風が吹き抜けていきました。もう9月に入いったんですね。しょうもない通信、ずいぶんとごぶさたしてしまいました。
 集中する春の農作業のリズムに身体がなれると、「思い」のほうはあるのですけど、書くという行為のほうのリズムがつかめないままもんもんとした時間ばかりが過ぎていき眠くなってしまう、といったパターン に最近おちいってしまうのであります。あとは雑事に追われ気がつけば秋。ひとつのテーマで考えて書こうとするとき、ききっかじりの情報にばかり振り回されて、書くことが非常にしんどく感じてしまいます。下 手な考え休むに似たりといわれるまでもなく、「下手な考え」ごときで農作業が遅れることに不安すら感じてしまうありさまです。
 「思考(試行)する産直」をキャッチコピーにしようとしているわりにはまったくお粗末、としかいいようがありません。
 と、まあいいわけはこのくらいにして、本題に入りましょう。
              ★ ★

○「グループ稲」について
 いまは解散してしまいましたが、伝統の(?)栄青年団の後輩であり友人でもある今野君と成田君が本年より本格的に米の産直を行います。 「三人寄ればかしましい」だけではありますが、激変の米流通、一杯 やりながら知恵を出し合おうというわけで、春に立ち上げました。詳しくは稲便りのほうをお読み下さい。
●物(商品)としての米
 昨年の11月より新食糧法ということで、米の流通に関して大幅に規制が緩和されました。申請すれば誰でも米が自由に売れるようになりました。それは農家だけでなくスタンドや酒屋さんでもしかりです。米も いよいよ商品になったとはやしたてられている昨今、有機米は差別化商品として少々(?)高い値段でたいていのところで手に入るようになりました。
 野菜や卵、肉類は同じ食料でも前から自由な形で流通しており、有機栽培物も多様に販売されてきました。そんななか、シールだけの無農薬野菜、有機栽培が出回り、新聞に取り上げられたことがあります。知人 の辻淑子さんがそのことにふれつつ、「食べ物を越えて」という小見出しで書かれた文章が手元にあります。「遅れて」産直に取り組んだ私には非常に興味深く、部分的ではありますが、本人の了解を得て引用させ ていただくことにしました。

食べ物を越えて
 先日、新聞にニセの無農薬野菜、有機栽培野菜が出回り、市場では無農薬野菜と書かれたシールが売られているという記事が出ていました。「あー、やはりな」という思いで読みました。「自然食品」「有機栽培」ということが一つのファッションになっている以上、いずれは、こうした問題が出てくることは、多くの人たちも感じていたでしょう。理念や思想だけでなく、具体的な物でつながり、物をとうして社会を切っていくということは、とても重要なことだと思っていました。しかし、残念ながら、食べ物については、物だけ見ていても、本物が見えてこない社会になってきているようです。というより、物を手に入れることで、自分が何か行動するとき、その物を通して見えてくるものがあるわけで、物が手軽に入るということは、おもしろさが減ることだと思います。
 では、食べ物を生産する有機農業が、どうやって多くの人とつながっていくか、・・感動や葛藤や刺激のある出会いを生み出せるかということです。「自然食品」「有機栽培野菜」という物が、以前程の強いインパクトを持ってない今、やはり物を越えたつながりが必要なのではないでしょうか。

(中略)

 ところで、物を越えたつながりが必要な今、私がもっともおもしろいと思うことは、物だけでなく、物を生み出す、その社会の文化に触れることなのです。
 例えば、最近スーパーでも、「放し飼いニワトリの産んだ有精卵」というのをキャッチフレーズにして卵を売っています。まあ、その看板に偽りがないと仮定したら、その卵と、たまごの会(注1)の農場の卵と、物としては違いがないかもしれません。同じようにおいしく、同じように安全かもしれません。では、果して同じなのか・・。少なくとも私にとっては、けっして同じではありません。消費者のニーズを敏感にキャッチしたスーパー、そのスーパーの要請に合わせて、卵を送りだす農場と、たまごの会のような農場とは、その卵を生み出す文化が全く異なるからです。逆に言えば、恐ろしいほど安い価格で無精卵を出荷している養鶏場と、馬鹿にしたような高い価格で有精卵を出荷している養鶏場と、物を生み出す価値観や文化は同じなのです。
 だから、私は物だけでなく、物を越えたところでのつながりをもっと大切にしたいのです。(後略)
   注1.たまごの会とは、共同出資の自給農場なるもの。
   ※この文は辻さんの自費制作した冊子『春夏秋冬』からの引用で・・・・、たまごの会へ宛てたものです(1989,9,14付け) 。
 7年前に書かれた文章ですが、野菜という部分を米に置き換えると妙に現在にマッチしてしまいます。
 激変の米流通ゆえに、今後、辻さんのような思いを米にいだく人々もあらわれるのもまた確かでしょう。 少なくても小規模な有機農法(産直)は商品(物)としての品質的な事はもとより、物を越えたつながりが今後とも重要視されるのはいうまでもありません。
 もっとも、彼女の「思い」に応えられる、物を越えるような文化的背景が私自身にあるかといわれれば首を傾げざるおえません。ばかにしたような高い価格、という表現にも耳がチクチクしてしまいますが・・。
 商品としての世界に流されつつも、物をこえる世界を模索していくしかないようであります。ではでは、次回は以前、亀の尾(ササ、コシのルーツといわれる品種で当町の亀治さんが育種した米)栽培田の一坪オ ーナーのみなさんに届けていた「亀の尾プレス」に連載していた「米主産地で米を売るということ」が未完のまま(栽培田を止めたため)でしたので完結編ということでお送りしたいと思います。
○平成8年産「しょうもない米」の栽培体系
 無農薬無化学肥料栽培は有機100%の発酵ぼかし肥料(商品名放線有機.エリート有機)を10・当たり50・散布し、5 /14 に田植え、6/7 に真鴨を田んぼに放ち2ヶ月後に家に連れ帰りました。餌のほうは くず米だけであります。今年は軟弱な苗を植えたため鴨を入れるタイミングを逸し、ヒエがすっかり繁茂してしまって除草機も押したのですがそれでも田んぼにだいぶ残ってしまって「ヒエー」と悲鳴をあげていま す。農薬は使用してません。
 減農薬米のほうは、ササニシキ・はえぬきの2品種、本年より無農薬米同様化学肥料の使用を止めました。どまんなかは昨年の残った肥料があり(商品名 JT有機入化成肥料.有機成分52%)10・当たり3 3・散布(化学肥料の成分で慣行の4分の1程度と昨年より少なくなっています。大蔵村のどまんなかは無化学肥料栽培)。農薬散布のほうは除草剤のみ一回使用(商品名.ウルフエース3・/10・)で他の農薬 は使用してません。
 いずれも種子消毒および苗作りの段階でも農薬は使用してません。
 価格設定については『稲便り』をお読みください。
 本年より価格は1・単位になっていますので7・でも12・でも結構す。特に贈り物ですとご予算もあることでしょう。
        
本年も宜しくお願い申し上げます。

※最後に辻さんよりコーディネイトしていただく、タイ農家民泊稲刈りスタディーツアーを添付しましたので関心がありましたらご連絡下さい。

としかつ父ちゃんのしょうもない通信
1994.9.26号 1995.7.14号 1995.9.17号 1996.1.20号 1996.9.14号 1997.7.20号 1997.9.26号 1998.6.17号
グループ稲便り
1996.8.25号 1997.11.19号

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