阿部利勝・洋子
1998.6.17
    5月18日に田植えを終え、鴨のネット張りに、 6月9日にようやく真鴨の10日雛が田んぼに放たれました。
 ようやく、といった感じで「はーっ」とようやく緊張感がほぐれたっていうところです。 みなさんお元気でしょうか。

●クラス会
4月22日に41歳になりました。
正月に『42歳の集い』があり中学生時代の同級生と湯の浜温泉に泊まりました。 全学年対象で100人少々は泊まったということです。
 たぶんこのクラス会というのは、各自にいろいろな思惑があるはずです。 嫌な思い出があったら来ないのかな、でも、25年もたっているし。 今の立場かな。 私はたぶん今の自分がちょっぴりしあわせだから参加したのかなー、 まあ地元にいると義理(付き合いも)もあるしね、みたいな。
 25年ぶりに見かけた顔はやっぱり、みんな歳をとった(アハハハ)。 同級生の、禿げ白髪小皺見て、わが身を知るってやつですね。
 各クラス入り乱れての2次会で、小学生以来話をしたことがなかったひとと話ができて不思議な気がした。
 15歳。私にはセーラー服が眩しすぎた。 フォークダンスなんかあるとゲッとばかり壁のべっと(庄内弁で蛾の意味。つまり踊りの輪に入らずに壁に張りついている。 誘われようものなら、蛾が飛ぶようにばさばさ逃げ回る)に化したものです。 (いまの私を見て、とても信じられない、という方もおりますが)
 異性には恋に恋して、同性とは真の友情を夢見、内なるスケベさや残酷さを合わせつつも、あまり認識すること無く、とりあえずその場で悩みつつときめきつつも、ただ輝く未来だけを信じていたような気がする。
 一つだけ当たっているのが、額だけが今みょうに輝いていること、か(アハハハ)。
 いまでは女房(夫)子供持ちの場合が多い、が、夜が更け酔いが廻ってくるとぼろっと「オレあの娘が好きだった」とか女性の間では「あの人あの頃はみんなの憧れだった」という会話がでてくる。
 『オイオイ、今の自分を顧みることなくよくそんなこと言えるかよ』と、みんな思ってもいちゃいけません。やぼっていうものです。好きなことをいったほうがいい。クラス会だもん。
 今、新たな出会いにおいても、ときめいていたい、好きになっていきたい、それが人であったり稲や野菜であったり虫であったりと、まっ、そんなことを酔っぱらって思いつつ、下ネタを連発する私でありました。アーッ、しょうもないオヤジ!
●願いましては
 「願いましては」と、そろばんの始めに読みあげる。途中で間違ったら、ジャラッと御破算にして、また、願いましては、と続ける。
 ここ二、三年の間の急激な米価低落、そして本年は20%を越える転作の割当と、米作地帯の本町としては、従来の価値観だけでは農業をやっていけない時代にはいった、といっては言い過ぎだろうか。
 これからも農業を続けるためには、農政が悪い、農協はなにやってんだ、と一通り悪口を言いおえたら、もう今までの自分の農業感をそろばんのように、ジャラッと御破算にしてしまったほうがいいのではないか。
 そうして「願いましては」と始める・・。
 なにを願って始めるのか。そのとき自分自身の願いはなんなのかを知らねばならない。でなければそろばんのように始められない。
 で、そろばんのときにどうして「願いまして」なのかはいまだに知りませんが。

 米の産直をはじめて4年目になる。合鴨農法の無農薬米と除草剤一回だけで無防除の減農薬米の二本立てでやってきた。
 個人販売が中心である。成り行き上(?)一件だけ、5人の有志で農協経由で米屋さんに180俵程出荷していた。今年は(9年産米)と思っていたら、いらないという。米余りの昨今なので、そうかとみんなおおきな落胆はなかった。
 全部自分で売るんだ、と力んでいるわけではない。というよりも、農協で米の売り渡しと表記しているように、ひとつの安定した出荷先でもあろう。
 なぜ産直なのか。一言でいえば、わがままでいたいからである。流通が省ける分少しは手取りもいいかな、と思ったのは間違いであった。私の場合はむしろ従来よりも手取りは減り、手間が増えた。(以前からの減収で、幸か不幸か本年の大幅下落はないが)
 最近は特に宣伝もしていないのでお客さんは減ったりもする(うんうん、いまはスーパーで安く手に入るし、簡単だ。気持ちわかる)。それでいいと思う。
 人との出会いでたまに増えたりもする(うんうん、ありがとう。消費者のみなさんに支えられています)。
 通信くらいはと不定期に「しょうもない通信」というのを出している。 野っ原では、動植物とも暴風雨の中でみんないきいきと生きているではないか。
ではでは。 (余目朝日 4 月14日掲載分)


●桜さくら
 今年の4月は、暑い、と思う日が多い月でありました。
 そのせいで例年より桜の開花が早く、ただ早いのであればあまり驚かないのでありますが、咲き始めたと思ったら「ボムッ」と音を立てて咲いたかのように、枝が花びらで太い腕と化してました。
 あー、と声を出したらはらはらと散りはじめた・・。
 あわてて4月19日に家族で夜桜をめでに、酒田市の日和山公園にでかけました。
 クラス会の話と関連するかもしれませんが、どうも私は(私だけではないような気もしますが)かなりの年齢になっても気持ちだけは若いころのまま、などと思ってしまう性癖がありまして、はい。それがです、今年は通りすがった高校生群にかつての自分を見たのです。『高校生の自分が歩いている』と。
 「やあ」と高校生の自分と挨拶を交わす。『俺はずいぶん遠くにきたんだ』という思いがひどく私を捉えました。こんな感慨を持ったのは、はじめてのことでした。
 子供達は、花よりだんご、とばかり駄々をこねてます。そういえば、高校生の私は、この公園に友達とバイクで乗り付け、花より女子高校生、に目を奪われておりました。ナンパなんてとんでもない。ただただ、花を見つめるように(というか、ちらちらっとでしょうね)めでるだけ。
 さてさて、この春の暑さで、ハウス内の苗は少々伸びすぎ、そんな農家が続出した年でもありました。
●終わりに  今年の入梅は例年より早かった。鴨を田んぼに放してホッとして本屋さんに寄ったら、むしょうに読みたい本に出会い一度に10冊も買ってきてしまった。でも、ほとんど家に帰ると積読状態になってしまう。友人の本屋さんには本代のツケがウン万ほどたまっていて、金がないから、なんとか米で(物々交換)せめて半分でも、とお願いしている最中です。
 田んぼのほうはホッとしているうちにも、すでに鴨を入れても抑えきれないほど生育したヒエ(雑草)がぐんぐん育っています。私の有機農法は化学農法と対で単に有機資材と鴨の命を使っているだけじゃないか、などと思い煩う暇があったら草を取れ。有機農法すら満足になってないじゃないか。等々、あー、シジュウを過ぎあれこれ思い悩むこと多し、そんな昨今であります。
 では、みなさん、ごきげんよう。お元気で。

 追伸
 通信も書くことは書くのですが、発送という事務的な部分で月日が経って、ネタが古くなってしまいがち。申し訳ございません。
 友人の渡部菜穂子さんが「勝手に、としかつ父ちゃんのホームページ作っちゃったよう」といってバックナンバーをまとめて下さいました。感謝、感謝。
 お暇なかたは、ぜひどうぞ。http://www.mwnet.or.jp/~naoko/

としかつ父ちゃんのしょうもない通信
1994.9.26号 1995.7.14号 1995.9.17号 1996.1.20号 1996.9.14号 1997.7.20号 1997.9.26号 1998.6.17号
グループ稲便り
1996.8.25号 1997.11.19号

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